「路上ライブ」のページ

長野の冬 00.winter

 

冬には、月に1回ほどライブをやりました。

長野の冬は寒く、アーケードを歩く人も飲み屋のお姉さんや飲んべえのおじさんたちばかりでした。ストリートミュージシャンも多くはなく、常連さんがぱらぱらといるだけでした。誰に気兼ねをするわけでもなく、誰に認められるわけでもなく、ただ自分が自分でいられる場所を探したいだけ。僕はそんな気持ちでした。相変わらずコピーばかりで、一人でやっているので気楽なものでした。それでも歌っていると聞いてくれる人がいて、いろんな人と出会いました。

 

1 酔っぱらいのおじさん。

おもむろに近づき、さりげなく「がんばれよ」と言ってくれました。

2 飲み屋のお姉さん。

「ゆず2分の1だね」と哀れんでくれました。

3 交番のおじさん。

「最近遅くまで騒いでるのがいるんだよね。気をつけてね」

とニコニコ言ってくれました。(僕のことも注意したかったのがわかったのでそれからはあまり遅くまでやらないようにしました。)

4 学生の集団。

C-oneの前でやったときに、みんなで輪になって聞いてくれました。ゆずの「いつか」をリクエストしてくれて一緒にハモってくれました。

5 となりで歌っていたお兄さん。

風が吹いて楽譜が飛んでお兄さんのところへ行ってしまいました。

「洋楽も歌ってるんすか」

「まあね」

「この歌どんなのっすか。歌って下さいよ」

歌ったのは浜田省吾がカバーしている「A PLACE IN THE SUN」でした。

 

そうさ陽のあたる場所はきっとある

 

そう信じて、今も生きています。

 

 

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赤丸…よくライブをやったところ

(上…権堂アーケード/下…C-one)

緑の●…当時住んでいたアパート

※ちなみに、地図中央左側にある「もんぜんぷら座」(市の再開発事業で誕生した施設)は、当時はまだダイエーというお店でした。時代だなあ。

‘00年の冬は雪が少ししか降りませんでした。そのために、寒さはあってもライブをやりに出ることができました。僕がライブを始めたころ(’9910月)はいかにも流行ですって感じの高校生もちらほらいました(うまい子もいたし、下手な子もいた)が、冬になるとだんだん歌う人は減ってゆき、特に真冬にはほんの数人になっていました。ろくでもない理由で歌っているヤツは僕くらいなもので、後のみなさんは、本当に歌が好きな人や、歌で生活していこうとしている人たちでした。福岡出身で全国をまわっている女性ストリートミュージシャンもいました。(’0508月追記)